ロック・ザ・カス場

フランス暴動 移民法とラップ・フランセ」(画像をクリック)
 陣野俊史・著 河出書房新社・刊


今回は長いよ。覚悟してくだされ。


今朝(2006年4月11日)の朝刊に載っていたニュースはなんとも感慨深いものでした。
やや長いがasahi.comより転載


仏首相、若者向け新雇用制度を撤回


フランスのドビルパン首相は10日、国民向けに演説し、26歳未満を雇えば理由を示さず解雇できるとする新雇用制度(CPE)を、最近成立した機会平等法から削除する方針を発表した。労働組合や学生団体が大規模な抗議行動で強く反発したCPEの事実上の撤回だ。07年大統領選に意欲を燃やす同首相の政治力は大きく傷ついた。若年失業の抜本解消策は先送りされた形で、「痛みを伴う改革」の難しさを浮き彫りにした。
(中略)
 UMPのアコワイエ国民議会(下院)議員団長は、数日中にCPEに代わる条項案をまとめることを明らかにした。AFP通信は代替案について、低学歴や移民社会の若者の就職を支援する措置になると報じた。その場合、「解雇しやすくすることで雇用を創出する」ショック療法は放棄される。
(中略)
 ドビルパン首相は1月、22%を超す若年失業率対策としてCPEを打ち出した。だが、野党や労組との事前協議、議会審議を省いて法案を採択した強硬姿勢が強い反発を招き、3月28日と4月4日の反対デモでは参加者が記録的な100万人(警察発表、主催者発表は300万人)に達した。大学や高校の封鎖も全国に広がった。


失業率10%以上、26歳未満の若者の失業率は22%にもおよぶかの国が打ち出した
「企業は、若者を簡単に解雇する(雇用2年以内のみ)ことができれば、積極的に若者を雇用するようになる(推測ではなく確信)」
という本末転倒、なんともトンチキな法律は、当たり前だが撤回された、というニュースである。
何かのニュースで学生が
「辞めさせられる為に働くなんてバカげているわ」
と声を荒げていたが、もっともな話だ。
どこの国も若者の生活、命を軽視する方向に向かっていると思われるが、法律でそれを明言するなよ。
法律ってのは人民のために存在するものではないんだなー弱い立場のものを庇護する為に存在するんではないんだなー。絶望のどん底にいる若者ではなく企業や、国の経済や、要するに金を守る為に存在するのか。ばかやろう。
フランスから遠く離れた極東の、冴えない企業ながら正社員(勤続4年以上)の、26歳ジャストなわたくしでありますが、この問題に関しては腸が煮えくり返ってたまりませんでした。前述の表記だけを読むと「あんたは範囲外なんだから怒ることないじゃないか」と思われるかもしれないが、就職活動時の苦い経験や、就職後の現在までえんえんと続く雇用問題は、フランスで決められかけた法律と地続きだ。全然他人事には思えない。


「どうせ就職できまい」「でもなんとかなるだろう」という気持ちで就職活動を始めたのは何年か前の4月の終わりのことで、就職が決まったのは6月の半ばのことだった。周りの本気で就職活動をしていた人々に比べればスタートも遅いし、活動期間も1ヵ月半であるから大変中途半端な感もあるが、それでもその時は1日に2社以上回るのは当たり前だったし、加えて卒業に向けての単位不足だったので(ってそんなのは自分が悪いんだが)、授業もフルで出席していたもんだ。慣れないヒールで東京中を駆けずり回るのはそれだけで苦痛だったし、交通費も食事代も常に自分持ちだったからバイトも毎日していたんだった。まさに満身創痍。(しかも若気の至りで、名古屋でも就職しようとしていたのだよ!交通費往復2万!金もたねーよそりゃ)
忘れもしない2001年5月31日。四谷駅間近の「カフェ・ド・クリエ」。
午前中の説明会の後に入ったそこで、甘ったるいアイスティーを飲みながら「このまま就職できないかもしれない」と心の底から感じた。絶望的だった。説明会に来ていた職を求める大勢の学生たちの表情はどれも暗く曇っていた。疲れた表情からはどうしても就職したいという気持ちが滲みでていた。自分もそうだっただろう。
その餓鬼のような学生たちの前に立ち、説明会を繰り広げた企業の人間は、形式的な説明会を行っただけだった。もう何度も開催されているであろう説明会で、「うちが欲しい人間はすでに獲得しましたから」と言わんばかりの顔、声、言葉、態度。ここに入っても希望はない、と感じた瞬間だ。あとどれくらいこんなことが続くのだろう、とその時私は思ってしまったのだった。そんな些細なことで絶望するんじゃねえ、と今の私だったら思うが。
でもその時は本当に絶望的だったのだ。職がない、ということがどんなに不安をもたらすことなのかを実感したんだった。
偶然なのか必然なのか、それは自分ではわからないが、絶望を垣間見たその日の午後に向かった会社が今の会社で、なんとか就職することができた訳だが、私はあの日のあの瞬間に感じた不安をこれからも忘れることはないだろう。


今、私はできれば今の会社を辞めたいと思っているのだが、あの瞬間に感じた不安が再び直に目の前に現われることが容易に想像できるので思いとどまっている部分が多分にある。


では今の会社に居れば安泰なのかというと、そうではない。
労働組合を持たないこの会社では、従順な社畜候補だけが安住権を持っている。
仕事が終わらないだのなんだのと理由をつけては遅くまで残り(実際そうなんだが)、何日も帰っていないことがまるで勲章のように語られる様を見ていると反吐が出る。順調に自分の仕事をこなして定時に帰れば「仕事していない」と言われるという風潮。休みを取る権利も早く権利も反故されても何も言わない彼らと職場を共にしている身としてはなんともやりきれない。
しかもそこまで会社に尽くそうが上の人間に嫌われれば辞めるように仕向けられるのだうちの会社は!
つい最近、そんな事態をきいたばっかだ。比較的身近な関係の人間にそんなことが起こってしまった。
労働とは一体何なのか。労働者とは一体何なのか。
今こそ権利主張をするべき時だ、という思いにどうしようもなく駆られたが、自らを一切変えることをしない会社の体質を考えると湧き上がるのは絶望しかない。自分もいつ切られるかわからない、という不安とともに。
それがとても歯がゆい。個人ってのはなんて無力なんだ。
変えられるのは自分しかないという限界ぶりを目の前に突きつけられているかのようだ。




「フランス各地でデモや暴動が起こっている」というニュースは、去年の秋ぐらいから報道されていて、今年に入ってからもその動きは絶える事がなかった。正確に言うと去年の秋に報道されていた「暴動」と今回、この撤回宣言によって収束された「暴動」は異なるものである。若者文化という言葉で一括りにすれば同じだろうし、前者の暴動が後者の暴動に影響を与えていることも確実であろう。
今回取り上げる「フランス暴動----移民法とラップ・フランセ」という本は前者の暴動を受けて書かれたものであり、労働者の権利主張については、ハッキリ言って一言も触れられていない。
去年の秋に起こった暴動について説明すると、パリ郊外の「シテ」と呼ばれる郊外集合住宅(平たく言えば「団地」ですな)に住んでいたアフリカ系移民の少年二人が警察に追われていて、逃げ込んだ変電所で感電死。その事件を発端として、パリ郊外で若者の怒りが爆発、暴動は各地に飛び火し、フランス全土に拡大したのだった。
暴動を鎮めるために政府は非常事態宣言を発令したり、各地で夜間外出禁止令が出たりしているようだが、国内治安の最高責任者であるサルコジ内相が彼ら移民二世の若者を含む郊外に住む若者を「社会のクズ(ラカイユ)」「ゴロツキ」「一掃する」と言ったことも暴動に拍車をかけたようだ。フランス全土で車が焼かれ、病院や学校が壊され、死者が出る惨事にまで発展した。
フランスは多民族国家であり、かつては数多くの植民地を有していた。それらの元植民地から職を求めてフランスにやってきた「移民」たちの苦労も計り知れないが、移民二世にとってはフランスこそが生まれた土地であり母国である。しかし彼らには行き場がない。
職もなければ居場所もない。郊外で何もせずにたむろっているというだけの日々。なりたくてなったわけではない立場に行きたくて行ったわけではない場所。そこに居ることしかできないのである。積極的に彼らを見えないふりしてきた人間ら(彼らに差別のまなざしを向ける者。しかもそれが国家権力者なのだ!)に、クズよばわりをされて、しかも一掃するなどと言われてはたまったもんじゃない。
人間なんである。一掃なんかされてたまるか。
暴動は美しいものではない。言うまでもないことだが、暴力はなんの解決にも至らない。憎しみが憎しみを呼ぶだけである。


しかし、これは彼らの生命の叫びなのだ。生きる権利を奪われる寸前の、精一杯の抵抗なのだ。


2005年秋の暴動は主に移民二世の若者を中心に据えて展開されたものであったが、そこから続く今年の暴動は、若者全般が中心となる。もはや移民だけの問題ではない。
若者自体が「ラカイユ」であり、「ゴロツキ」と認定されてしまっているのだ。アフリカ系移民の少年が感電死する以前からきっとそうだったのだろう。
それはフランスを遠く離れたこの国でもそうだし、世界のリーダーを気取るあの国でもそうだ。すでに世界中がそうだ。
国家単位にとどまらず、私が会社で行われていることもそれとなんら変わりがない。「どうせすぐやめる根性のない奴」と勝手に認定され、使い捨てのように消費されるのは「若者であるから」という理由が少なからずあることだろう。
若者が無力なのは、若者を無力にする環境/若者に力を持たせない構造/若者にモノを考えさせない状況を上の人間たちが作りあげてきたからであって、我々は決して無力なんかじゃない。こんなにも生命力に溢れているし、何かがしたくてたまらないじゃないか。いつだって不安は過ぎっているし、どうすればいいんだろうと考えているじゃないか。
不安が漠然としたものすぎて、改めて考えるのが厄介で、つい目の前の欲望に突き動かされてしまいがちではあるが、そんなのは人間だからしょうがない。ただ、上の人間らが敷いてきた状況にうまく順応する為に、考えることを停止するなんて愚かなことはもう終わりにしたいと心から思う。暴動を起こせ、なんて言うつもりはさらさらない。
ただ、そんなものに決して飼いならされるな。
そこから零れ落ちただけで「終わりだ」なんて簡単に思ってはいけない。
とにかく考え続けて欲しい。これが、今の状況が本当に正しいのかを。
自分は大丈夫だろう、関係ないだろうなんて他人事で括らないで、自分の身にも起こるかもしれないと想像し続けて欲しい。
自分の言葉で考え続けることによって、自分は「社会のクズ」なんかじゃないと自覚できるから。
考え続けることによって、それはその人の主義となり、自然とこの身から溢れ出して主張となる。
そして、言うまでもないことだが、主義主張がありさえすれば、「自分が今、やるべきこと」が見えてくる。それに突き動かされる。思考の停止も愚かしいことだが、行動を停止することも十分愚かしいことだ。
ボブ・ディランではないが「やるべきことをやるだけ」だ。
あるいは動き回りさえすれば、世界をもっともっと知りさえすれば、考えるべきことに直面するだろう。そこから主義主張が生まれるだろう。
個々が主張を語り合い、連帯していけば、構造はいつかどこかで変わる気がするんだよ。分断された、無力な世代からの脱却が図れると思っているのだよ。
これは私の希望なのだが、果たして実現はするのかしないのか。


本書は移民の叫びをフランスのラップの歌詞から読み取ろう、という趣旨の元に書かれているが、ここに載っているラップの歌詞はフランスの郊外に暮らす、移民を出自に持つ若者たちの紛れもない主張である。ラップというだけで腰が引けてしまう方も多いかもしれないが(私もそうだ)、ここに紹介された歌詞には浮ついた、軽薄な言葉などまったくない。すべてが直の生活の、生の言葉である。
シテの若者の生身の言葉を受け止めるならば、ラッパーがリリースしているCDを聴く事が最善なんであろうけども、残念ながらフランス語がわからない日本人には「勢いだけはズシズシと伝わってくる」程度になってしまうことだろう。
正直、本書は決していい作品ではない。特に最後の章は読み飛ばしても構わない。
しかし、無下に駄作と言い捨ててしまうことができないのは、フランスの状況を少しでもわかるための手立てになるかもしれないから。そしてそれが日本の、今の、自分たちの状況とリンクするところがあるかもしれない、という希望を捨てきれないからだ。海の向こうの遠く離れた国で起こっていることを、決して他人事なんて思いたくないからだ。
フランスの郊外も日本の郊外もさして変わりはない。
団地も犯罪率も職がない具合も何もかも一緒のように見えた。希望がない具合も絶望ぶりも。
この本を読んでいると、クリシー・ス・ボワ市は足立区や船橋市と隣り合っているんじゃないかとすら思えてくる。
移民問題はないじゃないか、なんて声もあるだろうが、外国人労働者は言うまでもなく、職や生活の豊かさを求めて東京にやってきて、団地に住んだり、郊外の建売住宅に住んだりしている人間も移民と同じような気がする。無論差別ではない。東京が故郷の私も、ずっとここが故郷という気持ちがしないでいる(自分の出自、拠り所をずっと探し求めているんだ私は)。


本書に沿ったフランスと日本の最大の違いは、ラップが肉声が反映される器ではない、のような気がする。
私が日本のラップに腰が引けてしまうのは、金持ちの全然現実的じゃない言葉だけが使われているような気がするから。郊外の改造車から聞こえてくる音楽は今も変わらずパラパラや「ベース野郎」シリーズや浜崎あゆみだ。やや古いかもしれないけれど。(余談だが、私はベース野郎が大音量で鳴り響く改造車に乗ったことがある。しかもウーハーの上にな。酔って酔ってたまらんかった)日本語の、生の声を反映する器としてのラップを私はとてつもなく聴きたい。もしかしたら既にあるのかもしれない。調べてみるとしよう。