名前はいらねえけど、ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン


「“恋愛”できないカラダ 名前のない女たち3」(画像をクリック)
 中村 淳彦・著 宝島社・刊



ここ2週ばかり火曜更新を守っていなくてごめんなさい。
来週こそは持ち直すぞ。



はてなで書き始めて早いもので4ヶ月になります。
最初ははてなダイアリーの形式に慣れなくて苦労しました。今も「より読みやすい工夫」を試行錯誤中であります。はてなダイアリーは自然改行をしてくれるし、ほかの日記/ブログに比べて行間が開いているので読みやすいブログではあるんだが、私の文章ってのはとにかく長いんで


「開いた途端に『うっ』と思う」

「読む気なくす」


とよく言われているのです。
何とかして読みやすくしたい今日この頃。もっとも、そんなこと言う奴は別に読まんでいいよ、と言いたくもなるがね。



そんな読みやすさの追求もさることながら、はてなダイアリーにはプロフィール欄があります。
私は昔から自分のプロフィールを書くのがどうにも苦手なのです。


なぜならば「自分には肩書きがない」から。


自分はごくありふれた労働者で、他人に一言でアピールできるような個性(例:スピリチュアルカウンセラーなど)がない。スピリチュアルカウンセラーという肩書きうらやましいなんて思ったことは生まれてこの方一度もないけれど。
私は、自分が労働者である自覚はあるし、そこにアイデンティティーだってある。ごくありふれた人間である故に他人と共有できる感覚があることが嬉しいし、連帯できるってのが頼もしくてたまらないし、それゆえに見えることや感じることがあることは素晴らしいと思っている。私は一般大衆だ。いや、私が一般大衆なんだ、と言い切ってしまいたいくらいだ。



昔は「私は他人と違う」なんて思っていた時期もありました。皆さんが思うのと同じくらい思っていましたよ。って、その時点で一般大衆なんだけどな。
その時はそんなことはもちろん自覚できなくて、なんでもない自分が恥ずかしくてたまらなかった。肩書きがない自分を呪ったもんだ。何もやってないんだから肩書きなんてできるわけないし、誰かに注目されるだのあるわけがないんだが。
しかし、こうしてwebで自分の思ったこと感じたことを吐露していくうちにそんなものはどうでもよくなったのでした。
そんなものあってもなくても自分は自分だし、自分に驚きだとか怒りだとか、くだらねーだとかおもしれーだとか、そういうことをもたらしてくれるのは自分のあまりにも一般大衆的な生活と感覚だということに気づいたから。
私の周りの世界はくだらなくて、どうしようもなくて、世の中ではさして重要ではない、別になくても一向に構わないようなものだ。でもそれ以外知らないし、その周りの世界がつまらないなんて思ったことはない。これは誇張などではない。
最悪だ最低だと思うことはよくあるし、つまんねーと思うことも実はあったりするけれど、「違う世界に行けばもっとおもしろいのかも」なんてのは思わないなあ。思うのは「夜汽車のブルース」聴いた時くらいだなあ。


余談だが、私は旅好きであるけれど、「よりおもしろい世界を求めて」「現実から逃避するため」の旅などはしたことがない。
そうではなくて、旅先に、遠く離れた土地に自分の感覚を共有してくれる人がいて、そういう人たちと知り合うのが楽しいのだ。で、そういう遠い土地も日常の一部になってしまうのがたまらんのだ。
しかも私の旅って出張多いしね。
出張って仕事(日常)の拡大版だからな。





話がそれた。
で、私ははてなのプロフィールに


>普段はドカチンみたいな仕事
>しかし仕事とは関係のない交友関係ばかり広がっている、一体なんなのかよくわからない人。


と書いております。自分でよくわからない人って書くのはどうなんだ、という疑問はさておき、この「仕事とは関係のない交友関係」について書きたいのです。
私は労働者でありますが、どういうわけかAV業界の方と仲良くさせていただいておるのです。
どういうわけか、って勿体付けすぎだ。今を遡る事6,7年前にAVライターの方と知り合って、その方と仲良くしていくうちにいろんな人と知り合ったのです。何度も書いているけれど人間の縁ってのはよくわからないもんだ。
しかし労働者のわたくし(当時は大学生)がAVライターと知り合いになったのは、今思えば全然偶然なんかじゃないのだ。これこそがナミイおばあ言うところの
「ウティングトゥ カミングトゥ(天の引き合わせ、神の引き合わせ)」
だったんだと心から思う。
AV業界は特殊な業界だと思うけれど、そこにいる人たちは何も特別じゃない人が多い。中にはどうしようもない人もいれば尊敬の念を払う人もいるけれど、私は少なくとも皆生身の、同じような人間として付き合わせていただいている。まあ、私が業界の人間ではないしAVの熱狂的なファンじゃないというのも大きく関係しているんだろうけども。
私はAV業界の方々の生身の人間ぶりが好きだ。
それはたぶん、彼らが「セックス」を生業にしている分、生きることに正直だから。
「セックス」っていうのは生きることそのものだと思うんだよなー
私はセックスなんて全然きれいなもんじゃないと思っている。だって生きることなんて全然きれいなことじゃないからな。どうしようもないことだってあるし、くだらねえことだってあるし、意味がないことだってある。
でも、するんだよ。
私はジョージ秋山「ピンクのカーテン」に繰り返し出てくる


「人間て哀しいよね、セックスしなくちゃならないからだよ」


という言葉に大変感銘を受けているのだけれど、それはセックスしなければならないって言葉が、まんま「生きなければならない」「生きてくしかない」「生きていっちゃう」に聞こえるからだ。
AV業界の人たちは、意識的だろうが無意識だろうが、そういう「避けては通れないもの」と向き合っている。でも本人たちは全然特別じゃないのがいい。


人間なんて皆ちんこもまんこも持ってるんだから、誰だってセックスに興味はあるし、したいとも思うものですよ。
で、実際したりしているのに、その業界に従事している人間を明らかに差別の目で見るのはなんともいただけない。
特にAV業界に籍を置く女性に対する「汚い」「汚れている」感覚は凄まじいものがあるな。(風俗嬢もだが)
私も昔は「なんでAV女優(風俗嬢)をわざわざやるんだろう、こんなにきれいなネーチャンたちが」と思っていたことがあるが、今はまったく思わない。


だってAV女優の人たちって、ものすごく等身大なのだ。


私も女優さんは何人か会って話したことがあるが、本当に、なんの気負いもなく接したことしかないであるよ。年齢が近い方が多いから、考えていることも感覚も、時代背景もすんなりと共有できる。会社なんかの表面上をなぞるだけの女子なんかよりずっと濃い話もできるし、楽しい。
それはたぶん、彼女たちが「セックス」を仕事にしているという時点で常に生きることと向き合っているからだと思う。生きること、あるいは自分と向き合っている人間は、それだけで深い。
「人前で股開いている何も考えていないバカ女」ではない。
「セックスに溺れている安い女」でもない。
何も考えてない女や安い女なんて他所にいっぱいいるからな。(って、女優の中にはそういうのもいるんだろうけどさ)



今回取り上げる「“恋愛”できないカラダ 名前のない女たち3」はAV女優のインタビューを中心に構成されている連載コラムの単行本である。名前のない女たちシリーズはすでに2作出ている。1巻は他人感覚で読んでいたんだが、巻を重ねるごとに「ふーんこんな人たちもいるんだなあ」感覚は見事に消えていった。


ここに出てくる女の子たちは、本当にどこにでもいる女の子達なんである。
彼女たちの生い立ちは不幸なものも多いし、過激な言葉も飛び交うけれど、本当に問題のない家庭なんてどこにもないだろうよ。いわゆる普通の家庭で育っても「父に嫌われていた」だとか「母の顔色を伺ってしまう」なんて問題はいくらでもある。私だって親との関係はいつも悩んでいるさ。その解決法として「セックスしまくる」だとか「セックスを生業にする」だとかが特別で、酷い事のように思われているけれど、そんなことはない。
誰だってまんこがついている限り、彼女たちになる可能性はあるんだよ。
この本に取り上げられている女の子たちになる可能性はないわけではないんだよ。
私だってそうだ。誰も見たくないだろうけどさ。


でも、
「母親とうまくいかない」だとか
「ダメな男ばかり付き合っちゃう」だとか
「寂しくてしょうがない。ひとりになるのが怖い」だとか
「恋愛するのが怖い」だとか
どれも特別な不安ではないし、
セックスしてようが「この世をどうにかしなくっちゃ」と思うことだってあるだろう。決して頭おかしくもないし、汚れてもいない。いや、彼女たちが汚れているんだったら、女はみんな汚れてら。男も言うまでもなく汚れているし、そもそも人間なんて汚れしかいねーよ。



本書は過去3作の中でもっともよかったです。
このシリーズはどうしても著者の主観が強すぎて、「女の子がこんな言い回ししねーだろ」とか「常にエラそうだよなー自分の言いたいこと言わせてるみてーだな」と思わされてきた箇所も多かったが、今回はそんな主観がどうでもよくなる。
それくらい女の子たちの考えていること、感じていることが普通に共有できた。
正直、あまりにも共有できすぎちゃって涙出た回もあったくらいだ。
これは是非とも女性に読んでいただきたいです。そして彼女たちと自分は何も変わらないということを読み取って欲しいよ。
我々は皆「名前のない女たち」という肩書きでぶっとく括られている、と実感していただきたい。




追記
本書の最後に収められている「飛び降り自殺したあるAV男優の物語」が、実は一番グッときました。
人間って哀しいよね、セックスから逃れられないからだよ。って呟かずにはいられない。
電波男」読んでいるような暇があったらこれを読むべきだ。