ジャマイカン・コーリング

ジャマイカ 楽園の真実(画像をクリック)
東京 UPLINK Xにて日曜のみレイトショー公開中
沖縄 桜坂劇場にて2/11より一週間公開
DVD発売中



レゲエ、それは陽気で、自由で、開放的で、刺激的で、時にエロティックな音楽。
概して南国の音楽とはそういうものだ。特に日本においては「レゲエ」「レゲエ好き」=「社会の規範に縛られずに理想を追求する自由人」というような主張がある気がする。いや、ある。レゲエが好きという人はやたら大麻ガンジャ好きだし(もはや大麻を吸うためにレゲエ好きといっているのか、どっちがどっちだかすらわからない)、当たり前のようにドレッドヘアなので普通に働く気皆無だし、レゲエダンスを踊るねーちゃんたちは薄着で腰ガンガン振るので貞操観念もなさそうだ。ついでに言えばルンペンのことを「レゲエのおじさん」というのも自由人思想に拍車をかけていると思う。


しかし、四拍子の裏打ちに載せられるおおらかな歌声の歌詞は、ずっとタダモノではないと思っていた。
レゲエの歌詞はなかなか聞き取りにくいんだが、「フリーダム」だの「レボリューション」だのという単語をよく耳にしていたからである。フリーダムは文字通り自由ではあるが、レボリューションてのは違うわな。
南国の音楽が陽気で快楽に満ちているのは、それなりの歴史背景の裏返しである。大きな太陽と綺麗な海、美しい人々、だけでは済まされない侵略、征服、支配、隷属化、独立の歴史。そこには大量の血が流されたであろうし、たくさんの悲しい出来事が繰り返されてきた。音楽は彼らの唯一の娯楽であり、希望だ。ジャマイカもアジア、アフリカ、南米や太平洋、カリブ海に浮かぶ他の国々と同じように長い間植民地化されてきた国である。私はそういうことが知りたい。(大学の授業でグローバリゼーション、マイノリティについて学んだのが未だに印象に残っているのです。あの授業にめぐり合えたことで、私はあの大学に行ってよかったと思えた)



そんな折に、「ジャマイカ 楽園の真実」という映画を見た。


「美しい海と太陽の島、ジャマイカへようこそ」


エア・ジャマイカのスチュワーデス(「ジャッキー・ブラウン」のパム・グリアーのようだった)による機内アナウンスから始まるこの映画は、ジャマイカでバカンスを過ごす外国人(白人)と生活を嘆く現地人(黒人)の対比でほぼ構成されている。
言うまでもなく、どこまでも平行線で交わることのないお互いの生活環境。現地人の嘆きはどこまでも深刻で、外国人のバカンス姿はどこまでも脳天気だ。しかし外国人ってデブが多いな。デブで短パン。いくら開放的だからって。
外国人、というかアメリカ人の声はテレビを通して伝わってくるが、ジャマイカ人の声はアメリカ人に届くことはない。しかもアメリカ人の声ってのは「さあこれを買えあれを買え」という購買欲を推進するCM、あるいは「これだけ作れさもなきゃクビだ」という罵声のみである。
しかもそのような金の亡者の声は民衆だけでなく、国そのものにも容赦なく飛んでいるという現状。金を貸すだけ貸して、一切知らないふりのIMF世界銀行。さらに輸入品を買えと迫る米国。借金スパイラルに陥ること必至である。
ジャマイカの元首相が「経済的基盤のない国にいきなり金をどんどん貸していったらこういうことも予想がついただろう」「長期の貸付をしてくれればこんな状況には陥っていないはずだ」と言えば、IMFの人(これが底意地の悪そうな白人なんだ。目は笑ってないのに口元だけで常に嘲笑しているという)が


「グローバリゼーション下ではどの国も平等ですよ。不公平などあり得ない」


と返す。
この平等という言葉は繰り返し何度も出てくる。大義名分以外の何物でもない。
そもそもこの世に平等なことなどないのである。人間は生まれながらにして不平等だし、それは国家然りである。この事実を十分にわかっていながら、「平等」なんて言葉をのうのうと繰り返す米国とIMFには嫌気が差すばかりだ。


日々の賃金が1ドル以下の人々の紡ぎだす商品は何万ドルもの商品となって企業に利潤をもたらす。もちろん労働条件は最悪だ。しかしイヤだと言えば即刻クビ。黙って作業をこなしていても、やがて労働力がさらに安い南米や中国に仕事を持っていかれて工場閉鎖。
かといって米国に憤慨してはいけない。IMFの決定権を2番目に持っているのはほかならぬ日本なのだから。
先進国は貧しい国を搾取するだけ搾取して、使い物にならなければ即刻ポイ。
まるで悪徳金貸し業者みてえだ。これからはブッシュやブレアの吹き替えは「ボイスチェンジャーのくぐもった低い声」にしてはいかがか。中川家礼二の吹き替えでも可だが。(前回分参照)



この映画を見てどうにかしなきゃと思ったところで、どうしようもないことがまた歯がゆい。
グローバリゼーションは個人の力ではどうしようもない。しかし世界はマルクス主義社会主義も否定した。その結果がこれであって、しかもジャマイカのような国は他にも沢山あるのだ。
しかし遠い国の事実を知って、フーンそうなんだ、では済まされない。
私がこの映画を見ていてぼんやり思っていたのは、沖縄のことだった。
沖縄とジャマイカは驚くほど共通点が多い。
美しい海、燦燦と注がれる太陽の光、そこに暮らすおおらかな人々、そして彼らの紡ぎだす沖縄民謡。本土、というか内地の人間は沖縄を癒しの楽園と名づけて訪れる。海辺のリゾートでゆったりとした時間の流れを楽しむ。


しかし沖縄の現状は散々だ。全国一低い所得に低い雇用率、そして高い失業率に離婚率。そしてよく知られているように米軍基地があっちゃこっちゃにある。
私も何度も足を運んでいるが、観光地と呼ばれるところ以外の住宅事情は最悪だ。何十年前も建物が立ち並び、人の姿もまばらだ。そんな町並みを通り過ぎると、よく働くでもなく軒先に座っている老人や若者の姿を見かける。本当にジャマイカと同じだ。かつてこの地は琉球王国と呼ばれていたが、日本とアメリカに占拠され、たくさんの血が流され、そして今は半ば見捨てられている。
そんな沖縄にも、ジャマイカにも日本あるいは欧米は「観光業に力を入れよ」というのだ。
うちのために見世物になってくれ、と。すべての観光地化を強いられている土地は、いわゆる植民地でしかないのだ。
アメリカは全世界に小さいアメリカを沢山作ってきた。
それどころかテレビを通して、意識すらもアメリカ人化することを促し、成功してきたわけだ。誰の言葉だったか忘れたけど、「アメリカは我々の意識の植民地化をした」というのがあったな。
それはアメリカだけでない。日本国内にも同じような事実が存在する。
去年、沖縄の新都心というところを訪れたのだけれど、これがまるで「小さな東京」。巨大スーパーが立ち、巨大マンションが次々に開発されているのであった。街が画一化されていく姿は見ていてしんどい。そしてこれは沖縄に限らず、日本全国の都市で今現在起こっていることなのだ。
日本はずっと「国民すべてが中流」だと自他共に認識してきたが、最近はそうではないということに警鐘が鳴らされ続けている。
上流社会だの下流社会だの、ヒルズ族だのニートだのフリーターだの、階層がはっきりと分かれている事を示す言葉が使われだした。
正社員雇用よりも労働力の安い短期間契約雇用が増えているということ。
さらに労働力の安いアジアに労働が流れているので失業率が軒並み増えているということ。
仕事がなく、金のない人間はチワワのCMに促されて簡単に消費者金融を利用し、返せなくなったらよりあくどい悪徳金融業者に手を出して首が回らなくなるということ。


ジャマイカで起こっている現実は、日本でも起こっていることなのである。
そしてそれはおそらくアメリカでも起こっていることなのだ。
この世には平等なんてどこにもないが、不平等はどこにでもあるのだ。
「ひとりの命は地球よりも重い」なんて誰が言った。ぬるい平等思想なんてくそくらえだ。



しかしジャマイカにはレゲエミュージックという希望がある。
彼らが「フリーダム」や「レボリューション」と歌うのは、本当にそう願っているからだ。歌は力である。命の叫びである。リアルで生々しい声である。
それに引き換え日本はどうだろ。現状や怒り、希望を歌う歌はほとんどない。甘ったるいだけの意味のない歌ばかりが支持されるこの国にはジャマイカ以上に希望がないんではないのか。「レゲエ=自由」と捉えている人を含めて、あくまですべてが表面的。下流社会なんて実感がないって人も多いだろうしな。まあ、ちょっとやそっとのことでは何も変わらない現実だが、もっと危機感を持つ人が増えてもいいと思う。少なくとももっとあらゆることについて考える人間が増えたほうがいいよ。何も考えてない人多すぎだから。
何かを考えるきっかけとして、この「ジャマイカ 楽園の真実」は最適だと思います。



昔、テレビで梅宮親子がジャマイカに訪れてたけど、バカの一つ覚えのようにバナナ料理だけを食ってました。
なんでスキャンダルと娘のだめんず具合だけで食っている家族がジャマイカに行けるんだよ。
しかし、ああいうのが日本の裕福層なんだよな、悔しいことに。
梅宮コノヤロー、なんでオマエが裕福社会所属なんだよ、と思った人にも是非見ていただきたい。