幾つになってもロックの虜

Herish「cellophane」(画像をクリック)
 respond LABELより発売中



どうでもいいことにイラついたり、腹を立てたりするのは10代の専売特許だとばかり思っていた。歳を取れば取るほど人間丸くなっていくものだとばかり思っていた。
しかし、現実に歳を取っても10代の頃とさほど変わりはない。相変わらず腹が立つことは山ほどあるし、心が広くなったなあと感じる出来事は見当たらない。それどころか増えている感すらある。衝動だとか、自己嫌悪だとか、どうにもならない胸のうちのグズグズは一体いつになったら消えるんだろう。
消えないのか。一生ついてまわるものなんだろうか。おかしいなあ、もっと理解のある大人になるはずだったのになあ。
そもそも自分の中に「大人になった」という自覚があまりない。20代も後半だしいちおう労働者でもあるのだが、年齢と職業以外は大人を証明するものをなんも持ってないからな。仕事柄平日休むことも多くて、朝から酒飲んだりエロビデオ見る時は、「私も立派な大人だなあ」と思ったりするけれど。


もうひとつ大人になったのか、と実感するのは音楽の嗜好である。
10代の頃はアグレッシブで男くさいロックばかり聴いていた。
音楽を選択する基準の中に「かっこいいかかっこよくないか」というものが確実にあった。かっこいい、というのがすべての価値観だったのだ。かっこよければなんでもよくて、かっこ悪いものはすべてダメという単純な世界観。今でもかっこいい音楽は好きだ。でもかっこいいだけじゃどうしようもないということがわかってしまったのだ。かっこいいだけじゃどうしようもないだけでなく、かっこいいことはなんてかっこ悪いのかすらもわかってしまった。(早川義夫を聴くようになったから、というわけではない)
かっこいいだけじゃどうしようもない、のがわかってしまったてのは、世の中のからくりや仕組みがわかってしまったというのとほぼ同義語である。わかってしまうことはなんだか哀しいことだ。やりきれなさばかりが募る。でも、わかってしまっても、それでも生きている感覚は10代の頃と変わりがない。成長しているんだかしていないんだか自分でよくわからない。
そんな自分にもやりきれない。混沌混沌混沌。哀しいなあ、と思っても案外日々平凡に過ごしている。
矛盾を抱えつつも、日々に流されることに慣れてしまってるんだろうな。問題なんか抱えたままでも生きてける。そういうこともとっくにわかってしまってるのだ。人生てのは途方もない先送りなのかもしれん。



Herishの「cellophane」というアルバムを試聴したのはほんの偶然である。
2005年から2006年にかけては37時間労働をしていた。地獄である。労働終了後、フラフラの状態で東京に戻る車の中でラジオをつけると宮藤官九郎の番組がやっていて、ゲストがロックンロール・ジプシーズだったのだ。普段ラジオを聴くことはほとんどないけれど、元旦からなかなか粋な番組がやってるなあと感心したものだ。
そこに出演していた池畑潤二がプロデュースしているという北九州出身の3ピースバンド、というポップに目を引かれたのだ。
ヘッドホンの向こうから聴こえてきた声は、強く、アグレッシブで、非常に男くさいものであった。
最近はすっかりアグレッシブで男くせぇロックから遠ざかっていたのだけれど、この声には何か急き立てられるものがあった。3ピースとは思えない怒涛の音量、そして巻き舌で歌われる歌詞、どれもが胸に突き刺さる。
ルースターズやミッシェルガンエレファントを彷彿とさせる骨太でドライでスピード感のある演奏やがなり声はもちろんかっこいい。彼らのファンであったらヘリッシュも必ずや気に入ることだろう。
しかし試聴した時に感じたのは、かっこよさなどではない。私が彼らのアルバムを買う動機は、かっこいいだけじゃどうしようもないのである。胸に突き刺さり、このアルバムをレジまで持っていかせた印象はそんなもんではない。


なんというか、泥臭いのである。
生活感があるのである。地に足が着いているとも言う。


これは、日常からかけ離れたところで鳴らされている音ではない。この声はかっこいいだけじゃどうしようもないことも十分にわかっている。それに哀愁を感じながらもこの日常という場でふんばっている声だ。
くだらねえ、意味がねえ、笑うしかねえ、ということがゴロゴロ転がっている日常に衝動や苛立ちを感じたりしながらも、そんな日常で生きていくしかねえだろ、という意思表明のように聴こえる。
愛だ恋だ夢だなんぞは決して歌いはしない。この世にきれいごとなんかなんもないこともよくわかっている。夢見る頃はとうに過ぎた、でも達観するにはまだ大人じゃねえ、まだ早い、まだ迷っていることもある、という人間(私と同じくらいの世代)には訴えかけられることが多いだろう。
巻き舌でまくし立てられる「わかんねえ」「範疇じゃねえ」という語尾は生々しい。わからねえことも苛立つことも負けたくねえと思うこともきっと彼らと私らは山ほどある。様々な感情に鬩ぎ合いになりながらも、なんとかやってくしかねえよというメッセージはあまりにもストレートだ。かといってストレートすぎて面食らうというものではない。
Herishは良くも悪くも「不細工な等身大」しか歌っていない。
最初に試聴した時の印象は「アグレッシブな奥田民生」だったからね。時には中川敬のようにも聴こえるがね。
全編がアグレッシブなわけではないのもいい。気張る必要などないのだ。


以前、ロックってのは「バカヤロー」と叫びながら抱きしめる愛だ、というのをどこかで読んだのだが、Herishが投げつけるロックというのはまさにそれ。くだらない現実を全力で抱きしめている感もある。それどころか、かっこいいだけじゃないどうしようもないということが十分にわかりきった、ロックそのものに対する愛すらも感じる。



しかし聴けば聴くほどライブが見たくなるバンドだなあ。
が、彼らの活動場は北九州。こないだ福岡行ったのにすっかり忘れていたわ。くそ。
と、思ったら全国ツアー中だった。


2006/2(平成18年)
20日下北沢CLUB251
22日柏Zax
23日新宿LOFT
25日HEAVEN’S ROCKさいたま新都心VJ-3
27日名古屋ell FITZ ALL
28日浜松FORCE
2006/3(平成18年)
10日京都磔磔
11日大阪ROCK RIDER
19日西小倉WOW
26日出雲APOLLO


あさってロフトでライブか!なんたるナイスタイミング!行こ