38度線なんかいらない

送還日記」(画像をクリック)
東京 シネ・アミューズ 3/24まで公開中
   シネ・ラ・セット 3/25より公開
大阪 第七藝術劇場   4/22より公開

その後全国順次公開予定



ああ、変則更新予告破ってしまって申し訳ない。(しかもコレ、火曜日更新分ス。明日祝日だから)
今回は韓国ドキュメンタリーの第一人者、キム・ドンウォン監督の「送還日記」です。
個人的には「スティービー」並みに見ていただきたい1本。


ご存知の通り、日本のすぐ隣の朝鮮半島北緯38度線を境に2つの国家があるわけです。
国家が2つに分かれた理由は朝鮮戦争の結果、と思われがちだが実は違う。太平洋戦争終了後、世界は共産主義と資本主義の対立に向かい、朝鮮半島には北に共産主義の国家、南に資本主義の国家が樹立された。樹立した後に北朝鮮側は国家を統一する為に南側に攻め入った。南側からすればそれは侵略戦争であった。
戦争は53年に停戦となったが、終わったわけではない。
事実、国際法ではこの戦争は未だに「戦争中」となっている。
大規模な戦闘が終わった後も、北から南へ工作員は送られ続けた。
工作員として入国した彼らは、捕らえられ、刑務所に入れられ、
人間が想像できるあらゆる限りの拷問を受け、思想を転向することを強いられた。
思想を転向しなかった者は、「非転向(韓国側からいうと未転向)囚」として、一畳程度のみすぼらしいコンクリートの独房に入れられ、思想を転向するまで際限なく拷問を受け続け、やがて彼らは「非転向長期囚」と呼ばれるようになる。


30年近く、いや、それ以上服役した彼らはやがて釈放されるが、南で解放されても行く場所もなく、身を寄せる場所もない。
そのうえ彼らは拷問で体は弱っており、拷問に費やされた長年の歳月によって高齢化をしていた。
この映画は、そんな年老いた非転向長期囚の面倒を見てくれないか、と神父より言われた監督(キム・ドンウォン)と2人の非転向長期囚の出会いから始まる。1992年のことだ。


身寄りのない2人の老人は監督の住む奉天洞(ポンチョンドン:ソウル内の低所得層の町)に住み、近所の人々の祭りに参加したり、集会に参加したり、監督の子供をかわいがってくれたりして次第に打ち解けていく。
監督には長い間、北のスパイに対する偏見があった。
テレビでは繰り返し北のスパイが悪さをし、それを韓国の警察が成敗すると言うドラマが流され、父親はいかに北が悪い国なのか滔滔と説明をするというのが当たり前の光景だったそうだ。
しかし、目の前の老人たち、とりわけチョ先生という老人は、体は弱いが情け深く、監督の息子を孫のようにかわいがってくれる非転向長期囚と交流を深めるにつれて、頭に角を生やした鬼だと思っていた北のスパイが自分らとかわらない人間だと思えてくるようになる。


でも、ハイキング(韓国の人たちはハイキング好きらしい。この映画にも「集会」や「交流会」と称して支援者が非転向長期囚とともにハイキングに行っている場面が何度も出てくる。みんな歌って踊って陽気だ)で、「私はソウル市民にはなれない」と語ったり、聞いたこともないような歌、つまり金日成を称える歌を唄い、踊る姿を見ると監督は違和感をおぼえるが、
この違和感と親しみを感じつつある心の葛藤が、監督にカメラを回し続けさせる。
この2人の老人だけでなく、同じように針で刺されたり、水責めにあったり、何百回も殴られ続けても、思想を曲げずに、釈放されても、北に帰ることを祈り続けた「北のスパイ」と呼ばれた多くの老人たち=非転向長期囚と会い、話を聞き、交流を深めていくというのがこの映画のあらましだ。
北のスパイたちは誰もが高齢であり、死の場面に立ち会うことも少なくはなかった。しかし彼らは死ぬその瞬間まで、「祖国の統一」を夢見、「思想に捧げた我が人生」を悔やまない。
また、長い拷問に耐えかねて転向してしまった長期囚とも出会うが、彼らの表情はどれも申し訳なさと力に屈してしまった悔しさに満ちていた。


「拷問して強制的に思想を変える。本当にそれが転向と言えるかい?情けないことだよ」


度重なる暴力の前に気絶し、意識のない状態で転向書にサインを書かされて釈放されたキム・ヨンシク先生の言葉は本当に重い。
監督も言及しているが、これは今のアメリカがイラクに、イランに、そして北朝鮮に行っている行為と重なる。経済封鎖をし、軍事圧力をかけ、時には実際に武装攻略をしかける。降伏すればそれで征服されたことになるのか。そこはアメリカになるのか。
そんなことはない。そして、そうはしたくない、そうはしない、というのが北朝鮮が今も戦争を続ける動機であり(あの一糸の乱れもないパレードは戦争中の証だ)、非転向、転向を問わず、長期にわたって刑務所で耐え続けていた囚人である彼らの信念と重なる。
何があっても曲げられない信念がある、というだけで彼らは崇高だ。
その信念のために、不自由で困難な人生を歩むことになったわけではあるが(特に家族に迷惑をかけることが多かったようだ。老いた母と再会した際に長期囚たちは大変胸を痛めていた)、共産主義が必ずしも正しいものでは決してないが、私にはそのような強固な信念はあるだろうか?何物にも変えられない、決して奪われたくないものがあるだろうか?先生たちを見ているとそのような自問が突きつけられる。おそらく私にはそのような強固なものはない。今まではなくてもいいと思ってきた。
でも本当は違う。それがないことにより不安定になったり、今までだって、強い信念を持つ人間に出会うたびに強烈な羨望を感じてきた。正確に言うと「強い信念を持つ」ではなく、「迷いがない」人間にだ。
度重なる老人との接触、交流の中で監督は障害にぶつかりながらも、この映画を撮り続け、こうして作品として世に出した。
家族を持ち、その生活を保つ為にこの映画を撮ることは果たして正しいことなのだろうか?と葛藤しながらも。
私事で大変申し訳ないが、もうずっと考えている段階に進むことに、私は長いこと躊躇していて、大体のことは決まっているのに日々の生活を考えるとなかなか足を踏み出せないでいる。そして、そんな自分が情けなく思う。
生きていることに意味がないだとかそんなことを言い訳にしている自分がいるのも事実だ。
生きていることに意味はない。たぶんそれは、死ぬその瞬間にしかわからないだろう。
あるいは自分にはずっとわからないのかもしれない。
でも、彼らのように信念は持つべきだ。持ちたい。持たなければならない。流されて、前に進まず、なんとなく生きるなんてのはそんなのは「生きている」ではない。
単に生かされているだけである。生まれたついでなだけである。
映画の中でも志半ばで命が尽きてしまった同志の墓を訪ねた長期囚は泣きながら
「死んでしまったら終わりなんだよ!生き残らなければ意味がないんだ!」
とやり場のない怒りをぶつける。何があっても、これが正しかったのか正しくなかったのかわからなくても、そういうことである。


映画は、90年代の初めから10年に渡り撮られたものだが、その10年間に隣国は劇的な変化を遂げる。
この10年間で隣国に起こった劇的な出来事は、サッカーW杯の四強進出と南北首脳会談の実現なのだそうだが、監督は「どちらがいいかといえば、迷わずこちらを選ぶ」と、両国の首脳が握手をする画面を選ぶ。
サッカーで代表チームを応援しないだけで「非国民」だのというようなこの国(ウチな。私は言われたことがある)には、耳が痛い。
そしてこの劇的な変化の結果、非転向長期囚たちは無条件で北に送還されることとなるのだが、
嬉しい反面複雑な思いを抱えることになる。
彼らは信念に生きた。思想にすべてを捧げてきた。
いつか帰ることを夢見続けた。そして希望は実現することになった。
しかし、過去に生きているのではない。生きているのは、まぎれもない「今」なのである。
私が一番心を打たれたのは、北に戻らずに結婚して南にとどまることに決めたアン・ハクソプ先生の姿であります。
留まる事が必ずしも信念を曲げることではないし、結婚をするという選択自体が新たなる信念/守るべきものを得たということなのだが、それでも同志たちが送還のために乗ったバスの前に飛び出し、警官に引っ込められる場面は強烈に焼きついた。
二度と会えないかもしれない、という気持ちが彼の表情ににじみ出ていた。
それは残ることに決めた長期囚だけではない。帰ることに決めた長期囚にも同じことである。
それでも各々が日々の生活を、自分の力でできることを、自分のやるべきことを、まぎれもない自分で選んだ「今」をこなしていく/生きていく彼らの姿は、実に堂々としていた。



ああ、この別れのシーンほど「国境なんてなければいいのに」と思ったことはないだろうよ。
当事者たちも、この映画を見ている人間たちも。
隣国は、国は2つあるがどちらの人間にも
「祖国を統一したい」
という共通の思いがあるというのに。



個人の交流は、国の対立で妨げられるもんなんかじゃない。
国を形成するのは人であり、人なくして国などは存在し得ない。国同士を近づけたり融合するのは言うまでもなくその人々の、太く束ねられた思いである。願いである。
そして、個人および個人レベルの交流は決して疎んじられるものではない。
南北朝鮮の問題は、もはや本人たちだけの問題ではない。
アメリカという国が関わりすぎている。(それはうちの国とて同じことだ)
しかし、個人を金と対価とみなし、金の有無に応じた階層をたくさん引いて、最下層にいる人間の人格を無視し、外と交流させることすら拒否させてしまっている国にこの隣国の願いを左右する権利があるのか。あるわけがない。
すでに世界中がアメリカなのかもしれないが、もしかしたら、統一された隣国もこの国になってしまうのかもしれないが、彼らの信念、そして彼らの心の絆だけは踏みにじられたくない、と強く思った。
チョ先生を同じ人間として、愛すべき隣人として交流していたポンチョンドンのおばさんが
金正日主席、どうか、お願いですからチョさんと手紙を交換することを許して下さい。チョさんは体が弱いので最高の治療を受けさせてください。私たちがまた会えるようにしてください」
とカメラに向かって告げるシーンにも胸が詰まる。
金正日だけでなく、アメリカの首脳にも聞かせてやりたいよこれ。
早く国境なくしてくれよ。じいさんたちに残された時間は短いのだから。



そういえば、今年の初めに大阪朝鮮学校のサッカーの試合を見に行ってきたけど、聞いたことのないような曲を大々的に演奏してて、偉く感心したもんだ。祭りのような試合だった。試合会場でもそうだったけど、競技場までのバス内に乗ってきた人たちが次々交わす挨拶と握手を何度も何度も見たが、こんなに絆や繋がりを大事にする民族が2つに分かれているなんて、とても信じがたいことですよ。団結力だって動員力だってすさまじかったし。在日の方々でもこんなんだから、祖国ではもっともっと絆は熱いものだろう。
合言葉は「アイゴアイゴ」。
日本で今、これに相当する意味で交わされる言葉はないんじゃないのか。