マイノリティはトラディショナルを救う

「ちゃんこ」(画像をクリック)
東京 新宿グランドオデオン座、Tジョイ大泉他で上映中
全国順次公開予定




火曜日更新とか言っておいて水曜の更新でごめんなさい。
ここんところドキュメンタリー映画づくしでありましたので、久々に非ドキュメンタリー作品を見てきました。
「ちゃんこ」という邦画です。


何年か前に「ズームイン!朝」で広島大学の相撲部特集が組まれておりました。私はそれを偶然見たのでした。
広島大学の相撲部は部員がどんどん減っていて、というかゼロになっていて、廃部の危機に晒されていたところに外国人留学生と女性部員が入部してなんとか相撲部を存続させたというレポート。ズームイン朝では何度かこの特集を組んでいたような記憶がある。
相撲部ってことで「実話シコふんじゃった」と言われていたが、その広大相撲部を映画化したこの「ちゃんこ」は「シコふんじゃった」とは全く違う映画になっておりました。
周防監督作品ほど話題にもなってないし、予算もそんなにかかっているわけでもない(むしろ低予算の匂いプンプン)。加えて主人公はまだ新人に程近い女優さんだ。

なのにこの映画は、相撲映画なだけでなく、「がんばっていきまっしょい」や「スイング・ガールズ」のような少女の成長記であり、図らずして、製作費何百億円のYAMATO映画や本年度のアカデミー賞作品賞「クラッシュ」をも凌いでしまうほどの人種問題/平和問題にも触れている、まるで奇跡のような映画でありました。
しかもそれをごく自然に、さりげなく、でもハッキリと描いている。これを奇跡と言わずなんと言う。


相撲というのは、日本の中でももっとも前近代的で、保守的で、男根主義な思想が残るものだ。
昨今はあまり言われなくなったが、外国人力士が横綱大関になれば「日本の権威堕ちる」とすぐに言われるし、外国人横綱に対する行動バッシングは日本人のそれとは比べ物にならない。そして、未だ女性が土俵に上がることは当たり前のように禁止されていて、上がろうとしようものならばこれまた批判が飛び交うという現状である。
「相撲は日本の国技」「最後のサムライ魂」などと平然と言う日本人男に、前から私は「だったらお前が相撲を取れよ」と思っていたのだが、そういうことを平気で言う男ほど相撲はやらないからな。
己のプライドすらも自分で背負うのは責任重大だから、他人に背負わせてしまおうという具合。
「他の日本人が背負ってくれればいい。でも女やガイジンはダメ」ってなんだよな。抑圧知らずのマジョリティのクセに腰が抜けたこと言ってるんじゃねえや。
で、この映画に出てくる相撲部はそんな「日本人男性の不在」を見事に反映させている。
ブラジル人のカブレラカザフスタン人のアバイ(イスラム教徒)、アメリカ人のケント(白人)、同じくアメリカ人のマイケル(黒人)、そして主人公の中田由香という部員構成がいい。
彼女と彼らが必死に廻し姿でぶつかり合って、闘いあう姿は、相撲の枠を越えて現代日本すらも反映しているようだ。
今や日本で、「男の土俵」と呼ばれる会社社会などで職を失いたくない、なんとかしなきゃ、と必死で働いて、権利を獲得しようと、よりよい賃金を獲得しようと闘っているのは女性と外国人労働者であるから。
YAMATOなどの映画も、本人たちの意図するところではないんだろうけど、日本人男性が闘っていたのは「過去」って描いちゃってるもんなあ。
なのに未だ日本人男性は「俺がナンバーワン」を掲げているわけで、この映画の中でも居酒屋で呑んでいた相撲部員に「ガイジンはうるせえ、日本から出て行け」「女のクセに俺らになんか言いたいことあんのかよ」と絡んでいき、彼らに暴力を浴びせる日本人男性が登場するし、「結果を残せていないんだから廃部するべきでしょ、我々だって予算が足りないんだから」と廻し姿の主人公を嘲笑する大学部活動委員も登場する。
そのたびに、抵抗せずに殴られても(外国人は「ここは平和の町です、暴力はダメ」と言うんだけど、哀しいかな、日本人には広島って「仁義なき戦い」=ヤクザの町って認識なんだよなー)「殴った」ことにされて責任を問い質され、女性顧問は予算を獲得する為に土下座までするという理不尽ぶり。
でも、彼女と彼らは決して相撲をやめない。理不尽な扱いをされても決して土俵を降りない。
これも、どんな扱いをされようとも、「生きていく為に」仕事を辞めない/辞める事ができない現状をよく反映していると思う。
それでも「女とガイジンはダメだ」と言えるだろうか?


また、様々な人種が入り乱れる相撲部部員は誰一人として特別に描かれていないのも素晴らしい。
ブラジル人のカブレラはたったひとりで相撲部を続けていたし、必死の勧誘も行っていて前半は沢山登場するので一見外国人側の主役のようにも見えるけれど、最後のほうは全然特別ではない。その公平ぶりは、ともすれば「ぞんざい」「都合がいい」などと言われそうだが、そのぞんざいぶりがかえっていいのだ。ただの「相撲」なのに、銃も憎しみによる暴力の連鎖も出てこないのに、こんなにも人種を公平に描いているなんて。もうハリウッド映画なんて見ている場合ではないよ。



などという社会的な面をさりげなく描きつつ、「ちゃんこ」は主人公の中田由香の成長記でもあるのがまた頼もしい。
大学に入って、何かをやりたいんだけど、体の中をぐるぐる渦巻くものがあるんだけれど、それを皆と同じような方向にはどうしても向けられなくて何をしていいのかわからない、というモヤモヤで固まってしまって、空虚なんだけどどうしようもできない姿には胸が痛むなあ。自分にも十分覚えがあるなあ。
選択肢は必ずしも「合コン」「飲み会」だけではないのだけれど、そういうところにうまく順応できるか否かが迫られるのが大学入学時なのだよな。言葉も少なく、人と会うのを避けて、どこにいても居づらいと感じているような姿が実に自然だ。そういう姿は、時としてヘタにも見えて、なんだかイライラもするが、実際の居場所が見つからない人物は決して演技がかっているわけではないので正しい。何も起こらない毎日の何もないわたし。そのわたしが、なんとなく見に行った相撲部に入って、なんとなくのはずがいつの間にか夢中になっていく過程がこれまたよい。同世代の仲間とチームワークを広げていく青春映画も好きだけど、なんとなく入って、なんとなく相撲がどんどん好きになって、たまたま部活が一緒だった同世代どころか性別も国籍も違う人たちと馴染んでいって、そこに居場所を見つける様もこれまた青春なんだよなー。友情だとか恋愛だとかが中心でないのもいい。
まあ、自然に恋愛は抱くけれど、その顛末もすべてサラっとしている。
そのサラっと具合が時に残酷なのもまた印象的だ。あまりにもごく自然すぎて私は泣けてしまったが。
主人公役の須藤温子がいい!シコ踏んでる姿が凛々しい!むっちり気味の体がだんだん逞しくなっていくのもいい!自信なさげだった顔つきがどんどん変わっていき、声がどんどん出るようになっていくのもまたいい!


そして何よりもいいのは舞台が広島という点であります。
少女が成長していく映画の舞台は日本のどこかの町がいい。「がんばっていきまっしょい」の松山や「スイングガールズ」の山形のように、この映画は少女成長映画の慣習を見事にクリアしている。
少女成長映画であるかどうかに関わらず、日本のどこかを舞台にしている映画はいい。とても陳腐な言い方だけれど、その土地の佇まいや季節の風景、そして地元の人間の顔(途中棒読み演技で登場する広島大学学長も含めて)があるだけで、映画は決して完全なるフィクションではないと思えるから。現実と地続きのどこか、それも希望の方向にあるものとして捉えることができるから。


というように絶賛尽くしの「ちゃんこ」でありますが、気になった箇所を敢えて言うならばセリフかな。
前述の少女成長映画と違って、由香は広島弁を喋らないのです。
まあ、大学なので、どこかから来ているのだろう。必ずしも地元出身の人間がいるわけではないか。
あとカブレラ役の方がやたら日本語が流暢なのもちょっと気になった。けど、流暢な日本語を話す外国人は今や沢山いるし、「外国人は稚拙な日本語を喋るべき」と思っているのもまた、私の偏見なんだろう。反省せねば。





とにかく瑞々しくて清清しい、そして頼もしい映画であります。
海外でも是非上映して欲しいものだ。
東MAXも出ているんだけど、それも結構いい役なんだよな。そして監督がピンク映画出身なのもまたおもしろい。昔はピンク出身の監督が映画に移行するってのも多かったので、それもまた日本映画の伝統を受け継いでいるなあ。

あと、カブレラ役のリカヤ・スプナーがケミストリーの堂珍似でした。
こんなところにも広島愛。実際は偶然なのかもしれないが。