子供の中に大人は生きてるんだ(ジャックス)

コドモのコドモ」全3巻(画像をクリック)
 さそうあきら・著 アクションコミックス(双葉社




もうホームページを始めてかれこれ6年以上経つ。今でこそサイト名は「スナックwell歌夢」だが、始めた当初からの5年間のサイト名は「小学生マインド」でした。
私には長らくの間、「自分は12歳の頃と何も変わってないな」「人間って案外成長しないもんだな」という感覚があって、いつまでたってもドラゴンボールの話をし、ピッコロやベジータと結婚したいと切望する友人らに囲まれているとその感覚はなおさらだったのです。
だから、サイト名もごく自然に「小学生マインド」。
小学生を名乗ることにまったく違和感はないと思っていた。
でも哀しいかな、人間は成長しないようで成長していて、ハタチ過ぎまでは鮮明に覚えていた小学生の頃の思い出は今では薄れつつある。それでも時々、ふと
「放課後ゴミ捨て場でエルティーンを大量に拾った」
「掃除の時間は自分たちで作った『愛のゆくえ』という不倫メロドラマごっこばかりやっていた」
「机にコンパスの針で2ヶ月くらいかけて深々と『木久蔵』と彫った」
などということを思い出す。ああ、やっぱり今とあんまり変わってないような気がするな。23,4まで河原でエロ本拾っていたし。
じいさんの家が駄菓子屋で、エロ本の自販機が置いてあったから(今考えると教育上とてつもなく悪いな)縛られている女のエロ本とか沢山読んでいたし。


そんな記憶の中に、初潮さんを迎えた時の記憶ももちろんある。
全国のいろんな小学校で行われているように、私も小学校5年の時に生理のしくみの授業を受けたものだ。クラスで発育のいい女子(ウマ面)がもう初潮さんを迎えていると聞いてみんなでたまげた。公園でいつものように靴投げに明け暮れた後、ジャングルジムによじのぼって「××ちゃん生理きたってー」「実はウチもきたよー」と語り合った時に、自分もそろそろ来るのかもしれないなと思った。
実際に初潮さんがやってきたのは小6の終わり頃だった。友達から「一時間に一回ナプキン取り替えないと漏れる」と聞いていたが、そんなことは全然なかったのだった。
余談だが、非関西圏であるにも関わらず小学生女子は自分のことを「ウチ」って言うよなあ。ウにアクセントを置かない言い方だけど。ちなみに小学生男子はオにアクセントを置く「オレ」ってのが沢山いたなあ。



WEEKLEY漫画アクションが復刊した際に「社会派マンガ雑誌」を急に名乗りだしたのには、とてつもない違和感を覚えた。
じいさんの駄菓子屋にアクションは常に置いてあって、幼少の頃からアクションに慣れ親しんだ身としては、休刊にはとてつもない喪失感を感じていたので復刊したら即買いはもはや義務。ええ買いましたとも。
読んでみると駄作と佳作が混在していて、その中でも一番印象深かったのがさそうあきらの「コドモのコドモ」でありました。
ストーリーはごく簡潔。
「小学生が妊娠して出産する話」
最初の回から出産に至るまでの話だということが書かれていて、それだけだとなんだ大したことねえじゃんむしろエロ話かよ、と思ってしまうが、そこがさそうあきら、かけらもエロくないし、むしろほのぼのとしているんだが、出産に至るまでにはいろいろな問題や日常や通過儀礼などが絡みつく。
登場人物は「ココルル」などのいまどきのブランドに敏感で、天然パーマをお姉ちゃんのコテ(ああ、これは中学高校時代のなつかしアイテムだな)で直しながら「ストレートパーマかけたい」と切望するいまどきの小学生だけれど、誰でもこんな背伸びはあっただろう。いや、今でもいるなそんな女。ブランドや髪の毛にこだわってもそんなに誰も見てねーよと思うんだが。
小学生女子同士の「うちらいつまでも仲間だよねー」という、今考えれば非常にウザイ括りもあったなーこんなの、と思うことこのうえなしだ。いや、これも今でもあるか。表面上のどうでもいい話に明け暮れて、グループを外されるのを異常に恐れる女は今でも多い。特に会社にいると「××目立つからハブろ」みたいなことをやっている女が目に付くものだ。
授業中のメモの回しあいも、今はメールに代わっただけだし。
何も女子だけでなく、男子も「いつも男子は格闘技とエロの話ばっかり」と言われてたり、ゲームばかりやってたりで変化がないのは多いわな。



なんだ。やっぱり人間は成長しないじゃないか。
いや、違う。小学校高学年はその時点で成長してしまっているのだ。
とくに女は生理以前/生理以降にしか分けられないんだと改めて思う。
だから小学校高学年だろうともちろん子供は作れる。産める。
たとえセックスの知識皆無であったとしても、体はすでにそういう風にできている。



そういえば私が小学校6年の時にうちのクラスでも性に関する授業があった。比較的若い女の担任だったんだけど、セックスのことを結構赤裸々に教えていた気がするな。で、男子が「先生もそんなエロいことやってるんですかー」と質問して、「もちろんします」と答えていたのを覚えている。
その頃のうちのクラスは結構荒れていたような。この「コドモのコドモ」にも学級崩壊が出てくる。4組あったうちほかの3組は男性教師だったけどうちだけ女性教師だったのでナメていたんだった。といってもこのマンガに描かれているような学級崩壊までは至らなかったが、この「もちろんします」発言は「先生大した事ねえ」意識に拍車をかけたような気がする。今思えば結構勇気のいる発言だったのかもしれないけど。私の記憶では親からクレームが来たりはしていなかったけれど、実際はきていたのかもしれないな。まあ、その当時はそんなことは知る由もない。


小学校6年の時は、6年なりに毎日必死で生きていたからなーわりかし何も考えてなかったからなー。


その時の私には「主観」しかなかった。おそらく周囲の友達も皆そうだ。(今でも主観しかない人間も沢山いるが)
さそうあきらのこの漫画は、小学生の主観だけで構成されておらず、大まかに言うと子供の主観(視点)と大人の主観(視点)が存在している。また、前時代的な視点/革新的な視点も存在する。この様々な視点(立場)の人間の身に起こる出来事はすべてが繋がっていて、物事は単独で起こっているのではなく、常に別の物事と地続きであるのだということが実によくわかる。この視点すらも地続きで繋がっているのだ。
主人公春菜の子供は「つながっている」ことの象徴である。
漫画の中でありながら、こんなにも出産シーンに感動したことはないよ。そしてこの漫画の小学生たちは、この機会に確実に成長していてちょっぴりうらやましい。
その後あんまり成長していなかったら私らと変わらなくていいんだけども。(最終話は蛇足感を否めない)





それにしてもさそうあきらというのは、優れた語り部ですな。
漫画家の中には「絵は、物語を伝えるための伝達手段でしかない」という漫画家がおりますが、さそうあきらも間違いなくそれ。他には柳沢きみおもそうだな。アクションはそういう漫画家が多いのか。
ちなみに私は、「セックスとはちんこにまんこを入れること」というのを、小学生の時に読んだ国友やすゆきの「ジャンクボーイ」で知ったんだった。大変お恥ずかしい話である。
あ、今思えばあれもアクションか。アクションは業の深いマンガ雑誌だなあ。

ジャマイカン・コーリング

ジャマイカ 楽園の真実(画像をクリック)
東京 UPLINK Xにて日曜のみレイトショー公開中
沖縄 桜坂劇場にて2/11より一週間公開
DVD発売中



レゲエ、それは陽気で、自由で、開放的で、刺激的で、時にエロティックな音楽。
概して南国の音楽とはそういうものだ。特に日本においては「レゲエ」「レゲエ好き」=「社会の規範に縛られずに理想を追求する自由人」というような主張がある気がする。いや、ある。レゲエが好きという人はやたら大麻ガンジャ好きだし(もはや大麻を吸うためにレゲエ好きといっているのか、どっちがどっちだかすらわからない)、当たり前のようにドレッドヘアなので普通に働く気皆無だし、レゲエダンスを踊るねーちゃんたちは薄着で腰ガンガン振るので貞操観念もなさそうだ。ついでに言えばルンペンのことを「レゲエのおじさん」というのも自由人思想に拍車をかけていると思う。


しかし、四拍子の裏打ちに載せられるおおらかな歌声の歌詞は、ずっとタダモノではないと思っていた。
レゲエの歌詞はなかなか聞き取りにくいんだが、「フリーダム」だの「レボリューション」だのという単語をよく耳にしていたからである。フリーダムは文字通り自由ではあるが、レボリューションてのは違うわな。
南国の音楽が陽気で快楽に満ちているのは、それなりの歴史背景の裏返しである。大きな太陽と綺麗な海、美しい人々、だけでは済まされない侵略、征服、支配、隷属化、独立の歴史。そこには大量の血が流されたであろうし、たくさんの悲しい出来事が繰り返されてきた。音楽は彼らの唯一の娯楽であり、希望だ。ジャマイカもアジア、アフリカ、南米や太平洋、カリブ海に浮かぶ他の国々と同じように長い間植民地化されてきた国である。私はそういうことが知りたい。(大学の授業でグローバリゼーション、マイノリティについて学んだのが未だに印象に残っているのです。あの授業にめぐり合えたことで、私はあの大学に行ってよかったと思えた)



そんな折に、「ジャマイカ 楽園の真実」という映画を見た。


「美しい海と太陽の島、ジャマイカへようこそ」


エア・ジャマイカのスチュワーデス(「ジャッキー・ブラウン」のパム・グリアーのようだった)による機内アナウンスから始まるこの映画は、ジャマイカでバカンスを過ごす外国人(白人)と生活を嘆く現地人(黒人)の対比でほぼ構成されている。
言うまでもなく、どこまでも平行線で交わることのないお互いの生活環境。現地人の嘆きはどこまでも深刻で、外国人のバカンス姿はどこまでも脳天気だ。しかし外国人ってデブが多いな。デブで短パン。いくら開放的だからって。
外国人、というかアメリカ人の声はテレビを通して伝わってくるが、ジャマイカ人の声はアメリカ人に届くことはない。しかもアメリカ人の声ってのは「さあこれを買えあれを買え」という購買欲を推進するCM、あるいは「これだけ作れさもなきゃクビだ」という罵声のみである。
しかもそのような金の亡者の声は民衆だけでなく、国そのものにも容赦なく飛んでいるという現状。金を貸すだけ貸して、一切知らないふりのIMF世界銀行。さらに輸入品を買えと迫る米国。借金スパイラルに陥ること必至である。
ジャマイカの元首相が「経済的基盤のない国にいきなり金をどんどん貸していったらこういうことも予想がついただろう」「長期の貸付をしてくれればこんな状況には陥っていないはずだ」と言えば、IMFの人(これが底意地の悪そうな白人なんだ。目は笑ってないのに口元だけで常に嘲笑しているという)が


「グローバリゼーション下ではどの国も平等ですよ。不公平などあり得ない」


と返す。
この平等という言葉は繰り返し何度も出てくる。大義名分以外の何物でもない。
そもそもこの世に平等なことなどないのである。人間は生まれながらにして不平等だし、それは国家然りである。この事実を十分にわかっていながら、「平等」なんて言葉をのうのうと繰り返す米国とIMFには嫌気が差すばかりだ。


日々の賃金が1ドル以下の人々の紡ぎだす商品は何万ドルもの商品となって企業に利潤をもたらす。もちろん労働条件は最悪だ。しかしイヤだと言えば即刻クビ。黙って作業をこなしていても、やがて労働力がさらに安い南米や中国に仕事を持っていかれて工場閉鎖。
かといって米国に憤慨してはいけない。IMFの決定権を2番目に持っているのはほかならぬ日本なのだから。
先進国は貧しい国を搾取するだけ搾取して、使い物にならなければ即刻ポイ。
まるで悪徳金貸し業者みてえだ。これからはブッシュやブレアの吹き替えは「ボイスチェンジャーのくぐもった低い声」にしてはいかがか。中川家礼二の吹き替えでも可だが。(前回分参照)



この映画を見てどうにかしなきゃと思ったところで、どうしようもないことがまた歯がゆい。
グローバリゼーションは個人の力ではどうしようもない。しかし世界はマルクス主義社会主義も否定した。その結果がこれであって、しかもジャマイカのような国は他にも沢山あるのだ。
しかし遠い国の事実を知って、フーンそうなんだ、では済まされない。
私がこの映画を見ていてぼんやり思っていたのは、沖縄のことだった。
沖縄とジャマイカは驚くほど共通点が多い。
美しい海、燦燦と注がれる太陽の光、そこに暮らすおおらかな人々、そして彼らの紡ぎだす沖縄民謡。本土、というか内地の人間は沖縄を癒しの楽園と名づけて訪れる。海辺のリゾートでゆったりとした時間の流れを楽しむ。


しかし沖縄の現状は散々だ。全国一低い所得に低い雇用率、そして高い失業率に離婚率。そしてよく知られているように米軍基地があっちゃこっちゃにある。
私も何度も足を運んでいるが、観光地と呼ばれるところ以外の住宅事情は最悪だ。何十年前も建物が立ち並び、人の姿もまばらだ。そんな町並みを通り過ぎると、よく働くでもなく軒先に座っている老人や若者の姿を見かける。本当にジャマイカと同じだ。かつてこの地は琉球王国と呼ばれていたが、日本とアメリカに占拠され、たくさんの血が流され、そして今は半ば見捨てられている。
そんな沖縄にも、ジャマイカにも日本あるいは欧米は「観光業に力を入れよ」というのだ。
うちのために見世物になってくれ、と。すべての観光地化を強いられている土地は、いわゆる植民地でしかないのだ。
アメリカは全世界に小さいアメリカを沢山作ってきた。
それどころかテレビを通して、意識すらもアメリカ人化することを促し、成功してきたわけだ。誰の言葉だったか忘れたけど、「アメリカは我々の意識の植民地化をした」というのがあったな。
それはアメリカだけでない。日本国内にも同じような事実が存在する。
去年、沖縄の新都心というところを訪れたのだけれど、これがまるで「小さな東京」。巨大スーパーが立ち、巨大マンションが次々に開発されているのであった。街が画一化されていく姿は見ていてしんどい。そしてこれは沖縄に限らず、日本全国の都市で今現在起こっていることなのだ。
日本はずっと「国民すべてが中流」だと自他共に認識してきたが、最近はそうではないということに警鐘が鳴らされ続けている。
上流社会だの下流社会だの、ヒルズ族だのニートだのフリーターだの、階層がはっきりと分かれている事を示す言葉が使われだした。
正社員雇用よりも労働力の安い短期間契約雇用が増えているということ。
さらに労働力の安いアジアに労働が流れているので失業率が軒並み増えているということ。
仕事がなく、金のない人間はチワワのCMに促されて簡単に消費者金融を利用し、返せなくなったらよりあくどい悪徳金融業者に手を出して首が回らなくなるということ。


ジャマイカで起こっている現実は、日本でも起こっていることなのである。
そしてそれはおそらくアメリカでも起こっていることなのだ。
この世には平等なんてどこにもないが、不平等はどこにでもあるのだ。
「ひとりの命は地球よりも重い」なんて誰が言った。ぬるい平等思想なんてくそくらえだ。



しかしジャマイカにはレゲエミュージックという希望がある。
彼らが「フリーダム」や「レボリューション」と歌うのは、本当にそう願っているからだ。歌は力である。命の叫びである。リアルで生々しい声である。
それに引き換え日本はどうだろ。現状や怒り、希望を歌う歌はほとんどない。甘ったるいだけの意味のない歌ばかりが支持されるこの国にはジャマイカ以上に希望がないんではないのか。「レゲエ=自由」と捉えている人を含めて、あくまですべてが表面的。下流社会なんて実感がないって人も多いだろうしな。まあ、ちょっとやそっとのことでは何も変わらない現実だが、もっと危機感を持つ人が増えてもいいと思う。少なくとももっとあらゆることについて考える人間が増えたほうがいいよ。何も考えてない人多すぎだから。
何かを考えるきっかけとして、この「ジャマイカ 楽園の真実」は最適だと思います。



昔、テレビで梅宮親子がジャマイカに訪れてたけど、バカの一つ覚えのようにバナナ料理だけを食ってました。
なんでスキャンダルと娘のだめんず具合だけで食っている家族がジャマイカに行けるんだよ。
しかし、ああいうのが日本の裕福層なんだよな、悔しいことに。
梅宮コノヤロー、なんでオマエが裕福社会所属なんだよ、と思った人にも是非見ていただきたい。

笑ゥせえるすまんにも御用心


「電話にでたらこうなった」(画像をクリック)
 多田文明・著 ミリオン出版・刊



夕方のニュースを見ていると、よく「悪徳商法の手口を暴く!」という特集がやっておりますね。
訪問商売、キャッチセールス、宗教勧誘、振込み詐欺、架空請求などさまさまな悪徳商法が蠢いておる現代なのですが、
「ああいう悪徳商法は、引っかかるほうも引っかかるほうだ」
「気が弱い人間であることがいけないんだ!俺は絶対にひっかからないね!」
という批判もよく聞くものです。
しかし、その批判ちょっと待て。俺は引っかからないだの弱い人間が悪いだの言う人間は一体どこまでキャッチセールスのことをわかっているのか。奴らの巧妙な手口を最初からお見通しな人間などいるものか。自分は強い人間、賢い人間などと自負している人間ほど、ふとした瞬間を掬われてしまうもの。街角で声をかけてくる人間を無視するのはたやすいことだけれど、悪徳商法業者だって手を変え品を変えて罠を張って待っているのである。敵はバカではない。それどころか悪賢い連中だ。
あと引っかかった人間がバカだのどうのというのは、引っかかってしまった本人が一番感じることなのでその上から他人が言うべきではない。批判するのは簡単なことだが、じゃあてめえはその状況下に置かれたら断ることができたというのか。ある種脅迫のような勧誘をかわすことができるとでもいうのか。百戦錬磨の彼らがどんだけ手ごわいか知ってるのか。


なんでこんなに熱弁をするのかというと、
実はわたくし、キャッチセールスに引っかかったことがあるのです。
こんなところでひっそりとカミングアウト。今まで人に言ったことなかったなあ、あまりにも忘れたくて。
あれは18だか19だったか(人間って不思議なものですね、忘れたいと思うと本当に忘れていくもんだ)、新宿の路上で図書券のもらえる美容アンケートというものに声をかけられてのこのこと着いていったところ
なぜか体重と身長、そして肌チェックを施され、その上で
「ダイエットの特効薬があるのです!」
「これを飲んで、うちの基礎化粧品一式を使うと痩せるわ肌はキレイになるわで一石二鳥!」
というものを強力に薦められたのだった。いや、薦められたんではなく、あれは「さあ買え!今買え!」と迫られたんだった。
この勧誘は本当に凄まじかった。口げんか甲子園かと思いましたよ。すごいんだ、肌がキレイでやせていなきゃ人間じゃない、アナタは今、人間になるチャンスを掴みかけているのです!といった調子。ここで迷っていたらアナタは一生敗者!というようなことを平気で言う。肌や体重の話が運だのチャンスだのに変わり、いつの間にか人間性や人格までよくなるって話になってたりするから。それを繰り返し繰り返し何度も言う。
当時はまだティーネイジャー、しかも処女であったわたくしは自力で食事制限、運動などのダイエットは全然せずに「楽してやせてぇ」「ヤセ薬欲しい」と思っておりました。
そんなものはないっての。
しかし、悪徳業者が入り込んでくるのはそういう心だ。最初から値段が気になってしょうがなかったので「一体いくらなんですか」と聞いたら、薬1年分で20万(キャンペーン中だとかなんとか言ってた)。
たけー!なんじゃそらー!
「いやあ、高いんで」と渋っていたらすかさずローン用紙を出されたが、当時はクレジットカードを持っていなかったのでローンは組めず。それでも「カードがなくても大丈夫です」とうるさかったし、やせ薬は魅力的ではあったので、勢いで
「じゃあ現金で買います」
と言ってしまったのだった。(現金お買い上げだと一割引で18万だった。今思えばありがたくもなんともない)
何考えてたんだその時の自分。貯金下ろせばなんとかなるなどと思っておりました。


で、家に持ち帰ったところで親が見つけて即クーリングオフ
金は結局払ったんだっけか?いずれにせよ苦い思い出だ。
当時は学生だったので、職にもついていなかったので18万程度を買わされかけたが、このは・じ・め・てのキャッチが就職している今だったら、もっと高いものを買わされそうになっていたのかもしれない。ああ怖い怖い。


この経験以降、「街角声をかけられるのは本当に怖いことだ」と知り、キャッチっぽい人がいたらあからさまに避けるなど防御してきたのだが、道を聞いてくるふりをして聞いてくるのとか(わざわざ地図の前に立っていたりするんだよあざといことに)いましたよ。
路上で美容に関する匿名アンケートをきかせてくれ、と言ってくるのがあって、あからさまにキャッチだとわかったのだがアンケートを受けたこともある。その時の質問項目に
「読んでいる雑誌 1、Cancam 2、JJ 3、NONNO 4、その他(       )」
というのがあったのだが、嫌がらせのようにその他のところに「週刊ゴング」と書いたなー。一番興味があることは「リングス」、好きな男性有名人「前田日明」など。このアンケートを実施していた兄ちゃんが格闘技ファンで「おまえおもしろいなあ」と言われてそのまま「あ、電話かかってきたからサヨウナラ」と去ったんだった。
あとなんでか忘れたが最初のキャッチのような美容系キャッチに事務所まで連れてかれたな。「もうホント俺のノルマかかってるんで!5分で済むから!」と言われたんだっけか。
その時は、肌チェックがあった時点で「ああ、一番最初と一緒だな!」と気づいたので何に対しても「無理っす」「5分で終わるって聞いてたのに長いんでもういいですか?」「ヒマないんですよ」と言い続けて無傷で事務所を出たんだった。



人間は失敗しないと学ばないものだ。私は今ならば「キャッチ引っかからない」という自信があるからな。



とはいっても、「悪徳商法に引っかからないようになるには、一回引っかかればいい」というわけにはいかない。
じゃあどうしたらいいか、というと今回取り上げる多田文明氏の著作「ついていったらこうなった」「電話にでたらこうなった」を読め、ということに尽きる。
ついていったらこうなった」は筆者が実際に街角のキャッチセールスにわざと引っかかり、相手の事務所に潜入して相手の正体を見破ったり、必死で戦って無傷で生還するという話。「手相見せてもらってもいいですか?」と声をかけられた経験がある人は結構いると思うが、もちろんそれも取り上げられております。「キャッチセールスに引っかからない為の本」であると同時に「あの人たちは一体何者なのか」という疑問も解消される、一粒で二度おいしい本。某有名宗教団体はやっぱり悪いところなんだなあ、と納得することでしょう。
街角のキャッチだけでなく、先物取引、結婚相手あっせん所、さらにはUFO研究会なんかにも潜入しているので飽きることはない。それどころか今までこれは悪徳商法なのかそうじゃないのかよくわからなかったものの行方までわかります。いろんな意味で目からウロコ本。


ついていったらこうなった」の続編であり、年末に発売されたばかりなのが「電話にでたらこうなった」。
キャッチ以上に最近頻繁なのが携帯電話にかかってくるわけのわからない電話と迷惑メールなわけですが、そういうものにもわざと引っかかり潜入する筆者。これを読んでいると筆者の電話は常に非通知の着信ばかりで、メールボックスは迷惑メールで埋め尽くされているんではないかと思ってしまうよ。
架空請求はもちろんのこと、デート商法、代理店商法など今回もさまざまな悪徳商法に潜入していますが、一番興味深かったのは
前作で正体を暴いた某宗教団体から裁判を起こされたというくだり。本当に体を張って作られている本なのである。
悪徳商法なんて引っかからないね!俺強いから」などと言っている人はそのまま根拠のない自信を振り回して一度バカを見て欲しいものだが、いつ何があるかわからないなあ、という堅実な方はぜひご一読を。
さおだけ屋よりも悪徳商法はなぜ潰れないのか、のほうが問題なのである。



ちなみに、夕方の悪徳商法特集で必ず出てくる
悪徳商法業者の匿名インタビュー(妙にくぐもった低い声に音声が変えてあるやつ)」
中川家礼二がモノマネしているんだけど、あれが好きでたまらん。最近見ないけど。



追記
架空請求に関しては、すでに有名な「むてきんぐ」のページがおもしろいですがね。
あれは潜入じゃなくて業者と戦っているのだけれど。ページに行くと戦いの様子が聞けるのが素晴らしい。サカエダとの戦いは必聴。

ゲイ倶楽部 吐露ピカーナ


ジョージ・マイケル〜素顔の告白(画像をクリック)
全国で公開中


去年の正月だかお盆だかに従姉妹の子ども(5歳)が
「ディズニーランドでハードゲイを見たんだー」
と言ってきた時、5歳の子供がゲイ(しかもハード)なんて言葉を発するなんて!信じられん!と驚いのだが(当時私はまだHGのことを知らなかった)、
よくよく考えたら私の小学生時代も保毛尾田保毛男が流行っていたんだった。なんだ変わらないじゃないか。
正確に言えばちょっと違うのかもしれないが、今も昔もオカマの方々はテレビに出続けているしな。そして今も昔も「××は絶対ゲイ」「○○は『お姉さま』と呼ばれている」という情報は絶える事がない。
(あえて)男性同性愛文化はいつだって大人気だ。不滅の男男。
私は同性愛について詳しくはわからないのだけれど、秘め事的感覚がいいのですかね。すべての人間が経験できるものではないということとか。
そのわりにはテレビや雑誌などに出てくる男性同性愛文化の当事者はまったく隠さないのだが。すべてあけすけ。
私はあけすけの同義語は「下劣」だと思っているので、つまるところその「下劣」具合がたまらんのかもしれない。人間なんてのは所詮下劣な生き物なのだ。中途半端なあけすけは「下劣」どころか「おげれつ」なので、嫌悪の対象でしかないが、あけすけをさらに全開にすると「エンターテイメント」となるからな。下劣マジック。いけないよ、普通はそこまで。



私は長いこと、ジョージ・マイケルが苦手だった。平たく言うと気持ち悪かった。
ワム!直撃世代ではないので一体どこで彼のことを知ったのかまったく覚えがないんだが、確か「ビバリーヒルズ高校白書」のワンシーンで脇役の人が「アイ・ウォンチュア・セックス、ジョージ・マイケルよ」と言うシーンがあって、「ジョージ・マイケルかよ!キモ!」と思ったことを覚えている。
当時の彼に対する印象は、「うじうじしている」でありました。
過剰に濃いヒゲとかモサモサした髪とかはだけた肌からの胸毛とか革ジャンとかでかいグラサンとか片耳ピアスとか、すべてが「アイ・アム・ゲイ」という主張に溢れているのに、キラキラしすぎの目ややたらと高くて澄んだ声はそれらの濃い、ネッチョリしたゲイぶりとはアンバランスに感じられたのです。(何故アンバランスだと思ってたんだ俺!それも重要なゲイ・アイテムじゃないか!)
そのキラ目と高い声には「ピュア」「繊細」を連想させられたのでした。
一般にはそれらはセクシーの象徴だったんだろうが、私には過剰防備に感じられた。ゲイテイストですべてを固めるのも、そういうものに心底憧れているが根っこの部分に自信が無いような、そんな感じだ。
「濃いゲイなのにピュア」
「猥雑に/セクシーになりきれない男」
それは「ゲイ=男を見つければ、すぐにセックス。一にも二にもセックス」という認識からすると、とてもとてもウジウジしているように思われて、とてもとても気持ちが悪かった。(注:ゲイ自体は全然気持ち悪く思いません)昔から私はうじうじしている男女が気持ち悪い。おそらくそれは、自分にもうじうじしている部分があるからだ。「恥ずかしい」という感覚に敏感な人々を見ると、自分の嫌な部分を見ているようで情けなくなる。
そして、そういう根のうじうじした人間が、反動で「大胆な行動に出る(大胆なセックスアピール)」というのを見ると、自分のことのように慌ててしまう。だあああ、という具合。そういう反動に切り出す気持ちのメカニズムもわかってしまうような気がして、いてもたってもいられなくなるのだ。
ジョージ・マイケルの「アイ・ウォンチュア・セックス」てのを聞くと感じるのもだああ!という感覚。それをビバヒルのようなドラマで使われてるなんて、更に恥じてしまうよ。だあああああ!だ。頼まれてもないのに汗をかく。きもちわりぃよとごちてしまう。今思えば、あの時感じていた「気持ち悪い」はそんな感覚だ。
ゲイばればれなのに気取っている感じも気持ち悪かった。のどの奥に引っかかった骨が取れそうで取れないようにもどかしかった。そういう類の気持ち悪さでもある。先ほども書いたとおり、中途半端なあけすけは単なる「おげれつ」「悪趣味」なのだ。もう、いっそカミングアウトして欲しい。見ているこっちを楽にして欲しい。



と、ずっと思っていたところに、飛び込んできたのが1998年に起こった例の事件である。



>元ワム! の英国ポップスシンガー、ジョージ・マイケル(34)が今月7日の夕方ごろ、
>ロサンゼルス市郊外の同性愛者御用達のいわゆるハッテン公園内の公衆トイレで、
>一人でわいせつ行為をしていたところ、
>ビバリーヒルズ警察の私服警官に公然わいせつ罪容疑で現行犯逮捕された。


宮崎某ではないが「胸がスーッとした」とはまさにこのこと!
しかもルースターズばりに♪ひとりで〜アレを〜の最中にタイーホときた。セックスではなくオナニー。ジョージ・マイケルのキラキラした目/高く澄んだ声はこの「オナニーしてて逮捕」の伏線だったのか、なんてことまで思った。ピュア、ここに極まった感すらある。
そしてこれ以降のジョージ・マイケルの開き直りっぷりが凄まじかった。
「とてもハンサムな警官に反応してしまって、目の前にある罠にはまってしまった」「逮捕でカミングアウトより裸でロンドンの繁華街を俺はゲイだと叫びながら走り回る方がずっとよかった」だのという発言群、そしてなんつっても「アウトサイド」のPV。あれは名作だなあ。単に警官の格好がしたかったんじゃないのか、と錯覚してしまったほど。
やっぱり、あけすけやぶっちゃけは全開にするとエンターテイメントになるのである。ジョージ、おまえは立派なエンターテイナーだ。



そして、エンターテイナーとしてのジョージ・マイケルが更に更にあけすけで全開なのがこの映画なのである。
とにかくもう、ジョージ・マイケル喋る喋る、ぶっちゃけるぶっちゃける。タイーホされた公園まで行ってたから。
おまえ、「プロモーション活動がイヤ」なんではなかったのか。
そう問いかけたくなるほどの喋り具合。関係者の証言も間に挟まれているのだが、多くはジョージ・マイケルによるベシャリ。素顔の告白とかそういう域を超えているよ。ピュアハートってのは開き直ると脆かったのから一転して逞しくなるのだな。清清しくすら感じられる。
途中、アンセルモと母を失った時の独白や歌にはホロリともさせられましたが。
ワム!時代の相棒、アンドリューも出てくるがアンドリューとの会話もジョージ・マイケルがべらぼうに喋っているのナ。ああ、やっぱりアンドリューはビートきよしだったんだなあ。(余談だがマーク・パンサーはアンドリューに似ていたな)



この映画がエンターテイメントたり得るもうひとつの肝はエルトン・ジョンとボーイ・ジョージ(化粧がすさまじいことになっていた。アイメイクがすべて汗で流れたのかと思った)によるツッコミが要所要所にちりばめられていることである。この2人のコメントがピリリと辛口なのだ。ジョージ・マイケル以上にあけすけなお二人だから当然強力。
ジョージ・マイケルだけのベシャリならピュアで繊細すぎるかもしれないが、このふたりは本当にいいスパイスなのですよ。
ゲイの方というのは、愛および性の対象になる男性(と自分)にはとことん甘いが、同性(同じゲイと女性)にはとことん厳しいものである。私の友人にもゲイの方がおりますが、もう、ビックリするくらい私らに厳しいからね。よく小娘が「ゲイの友達が欲しい〜ン」と言うけれど、そんな小娘はこてんぱんにやられてしまうぞ。再起不能になるぞ。
ゲイの友人を持つ最大のメリットは「アンタの立ち位置はここよ」とか「アンタ、ちょっとはみ出しすぎよ」という調子で、自分からは見えない部分を遠慮なく指摘してくれるというところでしょう。ハードな立ち位置確認装置といったところか。自分のことだからつい大目に見てしまうようなこともビシっと言われること数多。
ゲイ→女性でそんな具合なのだから、ゲイ⇔ゲイの場合はツッコミも更に厳しい。「公衆トイレでのカミングアウトなんて最低よぉ〜」「同じジョージでもアタシは違うわよ」という調子のツッコミは、ジョージ・マイケル自身だけでなく、ともすればジョージ・マイケルの「ピュアでおセンチで自己愛大爆発なナルシスト映画」になりそうなこの映画の軌道修正をも見事にこなしている。



それにしても、この3人を見ていてつくづく思うが、日本のテレビでご活躍のゲイやオカマの方々と大差ないな。
ゲイやオカマというのは国境を越えるもんなんだろうか。
彼らが日本人だったら、「ダウンタウンDX」などの番組でカルーセル麻紀やピーターと大暴れするんだろうなあ。いいともレギュラーになったりするんだろうなあ。とりわけジョージ・マイケルにはHGの格好をして腰を振ってもらいたいものだ。


もう、いっそのこと英国人のままでいいから、3人で漫談でもやったほうがいいんではないか。「レッツゲー3匹」とか「かしまし男娘(オスムスメ)」とかいかがでしょうか。
トークショー番組「遅く起きたゲイは・・・」「めげんゲイの気持ち」でも可。

モラトリアムをぶっ飛ばせ


全日本コール選手権(画像をクリック)


私は高校生のスポーツ選手権モノには寛大だが、大学生の選手権にはからきし肩入れができません。高校時代も毎週マンガ書いたり頼まれてもいないプロレスコラム書いたり「特攻の拓」に出てくる夜叉神の旗を作ったりちまちまカセットを作ったり相当な暗黒時代でしたが、大学時代も高校の延長のようなものでした。
なんつってもサークルに入っていなかったからな。
だからサークル内でくっついたり離れたりはもちろんのこと、
「ノートを回してもらう」
「就職時にOB訪問」
「いつ何時でもサークル席に行けば誰かしらいる」(ここ私らサークルの席なんで〜と言って平気で人を立ち退かせたりする)
「毎晩のような飲み会」
「飲み会の席を抜け出して公園でキス」
「別れてサークルに居づらくなって脱会」
(最後の2つは同級生の実体験)
などはまったくない。無論先輩もOBも一人として知らん。
同世代のサークル連中が内部で惚れたハメたを繰り返していた頃、私がしていたことといえば毎週プロレスを見に行くことと隔週で名古屋に行くことだったからな。
まあ、15歳の時にJJを手に取っていればサークルを経由してAVギャルになる人生を歩んでいたのかもしれないけれど、人生の分かれ目で手にしていた雑誌がロッキンオンであり週プロであったのだからしょうがない。
大学でサークル男女がはしゃぐ姿を見るたびに唾ペッペと思い、全員死ね!死んでしまえ!と念じていたものです。今考えると完全なるひがみのような気もしますが。


サークルの繋がりをまったく利用せずになんとか社会人にはなれたものの、歌舞伎町で飲めば隣にサークル飲み会が開催されていて掛け声の嵐がうるさすぎだったり、新入社員時の同期飲み会で私がいけ好かないと思っていたバカ(常に口が開いている。鼻で呼吸しろ)がサークル飲みのノリで掛け声を連発していて非常に不愉快だったりで、サークル入っている奴全員死ね!急性アル中で死んでしまえ!できれば乱交中に火災にあって死ね!という気持ちは治まらずに生きてきました。


そんなところで「全日本コール選手権」
このタイトルの「コール」というのは、つまり、その忌まわしきサークル飲み会で飛び交う集団掛け声のことなのです。♪××の〜ちょっといいとこ見てみたい〜それイッキイッキ、というアレですよ。打っただけでも腹が立つ。
バブルも80年代もとっくに終わったというのにこのコール文化とサークル大学生浮かれ文化は全然廃れないな。むしろこれは何百年か後に日本の古来伝統文化になるのかもしれん。ああ想像しただけで恐ろしいことよ。
非サークル者としては苦々しいがおっかなびっくりな気分でこのDVDを見たのですが、店頭で5分弱見ただけで買うことに決定。



いやあ!サークル飲み会って本当にバカだな!



選手権に参加しているサークルはどこも独特なコールを持っているんだが、本当にしょうもない。そして下品に次ぐ下品。おげれつに次ぐおげれつ。
サークルなので女子ももちろんいるんだが、そんな女子も声を荒げて
「しこしこしこしこしこしこドッピュ」
などとコールをかけていたからね(コールは「する」ものでも「やる」ものでも「犯す」ものでもなく、「かける」ものなんだそうだ。公式ルールより抜粋)、手コキの動きつきで。
中には性器そのものをグログロとコールするというものもあって、もはやコールというのは単に「酒を飲ませる」ものではなく、「酒飲んで酔っ払って男も女もすべてスーパーフリーにさせる」ものなのだな。そりゃサークル内恋愛→兄弟続出もあるわけだ。


そんなザーメンと栗の花の化かしあい臭が充満する中で登場する「男子寮」(サークルではなく横浜市立大学の寮生で構成されていた)はすばらしいよ。
みうらじゅんの解説でも「男ばかりで何年も住んでるとこうなってしまうの見本」と言われていたが、本当にモテややりたい的な姿勢皆無。同じ男子寮でも「ここはグリーンウッド」のような人物も皆無。
まるでたけし軍団の予備軍のような佇まい。
生粋の童貞(三浦君←みうらじゅんが「自分が呼ばれているような気がした」と言っていた)がいたのもポイント高し。
彼らの実演中だけ、会場が小汚い6畳一間(ビールの缶と焼酎の空き瓶が散乱/無造作に広げられたエロ本群、そして丸めて捨てられたティッシュの山/畳に生えているかのような陰毛/脱ぎ捨てられたパンツにはサルマタケ)に見えた程。
そんな錯覚、「ガラスの仮面」でもありえないぞ。


他のサークルは80年代バブルからの流れだったけど、この男子寮だけは70年代の下宿とか、中学校昼休みの後のほうの席のウケ狙い軍団とかそういう違う流れを汲んでいて、サークルとは一概に「死ね!」と念じる対象ではないのだなあ、と思った。ちょっとばかり心が広くなった気がする。


なんにせよこのDVDはバカバカしすぎておもしろかった。タモリ倶楽部あたりでやりそうだな、と思うがコールがあまりにも下品で公共電波に乗ることはない。だから買うべし。
意外にも普通に使いたくなるフレーズがあったりするのです。
ビールをちょっと残しちゃった場合には
「ちょーい残しー(オブジョイトイ)ちょーい残しー(オブジョイトイ)」
とコールをかけよう。そしたら貴方もきっとサークルに対して心が広くなれる筈。